休みの概念
昨日は青山で、幾つかのアポイントがありました。年末ということもあり、ビジネスパーソンはあまり見かけません。
打ち合わせをしていると、『いつから休みですか?』と聞かれることがよくあります。
自身でビジネスをしていると『休み』という感覚が欠落してしまうのが正直なところ。
つまり、『仕事を休める』というのは『労働が苦痛なら』そのように考えるのでしょうが、私の場合は『労働』と『休息』に垣根をつくることはありません。
だからこそ、仕事は『自分が楽しめること』しかやらないわけですし、仕事をやりたい方も『自分が関わって、ワクワク、ドキドキできる方』と組むのです。
だからと言って、『ハードワーカー』ではありません。
手を抜くところ、力を入れて集中するところ、その『緩急』はしっかりとセルフマネジメントしています。
私は、インターネット等のバーチャル空間から見ると『忙しく見える』ようですが、ただそう『見える』だけで、『忙しい気持ち』にはなっています。
超合理的に、かつ効率的な私は『的確かつ効果的な行動』のみをきちんと選び、日々を過ごしているのです。
移動中に何をしているのか?
朝からスッキリと目覚めれると、なぜか得した気分になります。
西から東しへと仕事で移動していると、移動中の新幹線や飛行機が仕事場になることも。。。と思われそうですが、移動中はPC広げてガッツリと仕事はしてません。
移動中は、どちらかというと瞑想をします。思索を巡らす瞑想といってもいいでしょうか。そういう思索補助ツールとして読書も行います。
移動の頻度の割に、私は乗り物酔いがありますから、移動中の仕事は特に心身を疲弊させるので、その後のことを考えると効率的な時間の使い方ではありません。つまり、アウトプットは移動中は向かないのです。
どちらかというとインプットの時間に当てていきます。
これから向き合う問題や課題をどう解決していくのかとか、これから何ができていくのかとか、思索に耽りながら考えを巡らしイメージを広げていきます。
新幹線なら次から次へと変わる風景を見ながら頭に適度な刺激を与え、思索の新陳代謝を活発に。思索は停滞がよくありませんから、考えとイメージを映写機のように『巡らす』のが大事。また飛行機なら俯瞰力を高めるいい機会に代わります。マクロの流れで、眼下に広がる地表を見ると自然にそのような考えが身につきます。
人は、座禅を組み、デスクに向かい、だけではいい思考はできません。身体を使い、適切な空間での体験、つまり身体で覚えながら身についていきます。
まさに、『アイデアは移動距離に比例する』です。
私の移動は移動距離に比例し、より立体的に物事を見る力を養うトレーニング場と化しているのが移動を多くする理由なのかもしれませんね。